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遊映研OP集雑感 |
アニ研連オープニングの遊映研パートを再撮影してまとめたものと、『星に願いを』の予告をつけて上映会に出したものです。当時、もう卒業して、しかもそれゆえにサークルがなくなってしまっていたのでその上映は大変顰蹙を買ったようで、当時の代表からもう勝手は罷りならぬという手紙が届きました。
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『π』 1985年頃 |
アニメーション研究会連合第10回上映会のオープニングアニメの遊映研パートです。
第10回と言うことで、第9回オープニングのテーマであった「球」から文字のしりとりで「きゅう」「う・・・(失念いたしました)」という風に進めて行き「じゅう」で終わるという趣向で遊映研のパートが「ぱい」だったわけです。
たとえば「じゅう」は「銃」でも「柔」でも可で、また、最初と最後の言葉があっていれば途中は変えてもいい、というルールだったと記憶しております。
このときは撮影も一括してひとつのサークルで行うということでしたが、担当した早稲田大学アニメーション研究会は二つ穴タップでは撮影できないということで、画材屋で売っていた市販の三つ穴タップと、三つ穴の動画用紙を100枚購入して作画、仕上げを行いました。
超リミテッドアニメなのはその枚数制限があったからです。
妙なところで金を使わなければならなかったことに対するいやみも多少はありましたかね。
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『11』 1986年頃
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第11回上映会のオープニングアニメの遊映研パートとして制作されたものです。
技術的には全く『星に願いを』で使ったものとおんなじです。
色鉛筆で塗る際力の入れ加減で影色にするとか、色トレス線を鉛筆でやるとか、肌色の影をマービーで塗るとか。
内容に関してですがこの作品をつくっていた頃は、それまでのなんと云いますか、「アニメごっこ」のような作り方とは違い、なにか「作品」みたいなものをつくってみたいと思っておりました。
この作品を上映した上映会ではこの『11』だけではなく随分と血が飛び交う作品があったようで(この回は私は受付担当としてずっと会場の外にいたので実際には見ていないので伝聞としてしか知らないのです。その頃は前日試写はありませんでしたし。)流行りものの作品の一部、といったところですかね。
今ではメカ等も含めて「80年代」みたいな言葉でひとくくりにされているようですが。
ところでこの作品にでてくる女の子は最後に11に指をかみ切られて「そんなわけでこの女の子には指が一本ないのです。」とテロップで出したのですが、この女の子をこの後、「指のない女の子」と称し、遊映研のイメージキャラクターにしようとしましたが定着しませんでした。
この頃でしたか、アニ研連でもなにかイメージキャラクターをつくろうと云う話が一部で出て、私はこの女の子を押したのですが皆困ったような顔をしていました(笑)ついでに云えば『回転』に出てくる女の子も同じ人物です。
その後、『星に願いを』の主人公の女の子の設定をつくった時、どうも私のつくる女の子に五体満足な子はいないなと思ったのですが、考えてみると『Feather2』の女の子はあれだし『分裂』の女の子は波にさらわれていずれ死んでしまっただろうし、『流浪の詩(假)』の主人公も頭が悪い設定だし、なんか女の子に恨みでもあるんですかね、私は。子供の頃いじめられたとか。いじめられたけど。
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『校章』 1987年頃
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第13回上映会の遊映研パートです。
作画はやはり下手なんですけど結構気に入ってる作品です(笑)
この作品での彩色のノウハウがほぼそのまま『星に願いを』の「天井裏」のシーンで使われています。
全面塗りだと一本のマービーで7枚くらいは塗れましたかねぇ。学生時代は一本100円(当時)という金額ですら満足に出せなかったので大変でした。千葉工大の『アイコとヨースケ』などみて、なんであんなにマーカーが買えるのだろうと羨ましかったことを思い出します。
あ、そんなこと云ったらセルアニメを当たり前のようにつくっていた中大なんかどうなるんだろう。
遊映研って個人制作が基本だったので材料費等経費も個人持ちだったのです。『星に願いを』まで彩色で色鉛筆をメインに使っていたのは単に安いから、という理由からでした。しかもその色鉛筆の中でも一番安い奴を使っていたという。
『星に願いを』の「屋根裏」を塗ったときは正月休みに実家へ帰る前に池袋の「LOFT」と「PARCO」の世界堂と「東急HANDS」の店頭にあるマービーNo.12とNo.26を全て買い占めても足りませんでした。残りをこの作品で使ったときに買った「ららぽーと」の画材屋で補給しようと思ったのですが、既に滅んだあとでした。あのとき池袋でマービーを買いに行って手に入らなかった方がいたらごめんなさい。あれは私がやったのです。
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遊映ニュース 1988年頃
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ま、最後のテロップを思いついたから作っただけのような気もしますが。
しかし、快調は快調だったような。量が多すぎただけで(笑)
実際撮影した動画は全部本編で使ったものですし、O氏の担当分も新規に作画をして
一部は仕上げまで終わっておりますし。
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